No.21 サタン(悪魔、悪霊)の存在について

 

 

 

◇◇クリスチャンは敵(サタン)ありきの中を歩む◇◇

 

 

 

前回は、私たちは何らかの「霊」に導かれているということについて学びをしました。さて、聖書全巻はイエス・キリストについて書かれていて、どれもこれもクリスチャンを永遠の命、すなわち天国へと導くために有益なことが様々書いてあります。そして、その中のひとつとして、また、ひとつのキーとして挙げられているのが「サタン(悪魔、悪霊)」の存在です。サタンも、聖書で「御使い」と言われています。「御使い」も、二種類に分けられます。クリスチャンを何とか天国へ入らせるために助けたり、守ってくれたりする「良い御使い」がいます。しかし、一方、クリスチャンを天国へ入らせないために、ありとあらゆる妨害をしてくる「悪い御使い」がいます。後者がまさしく「サタン」と呼ばれる「御使い」です。そして私たちクリスチャンは、「サタン」にどんな風に対応するか?が、非常に大事なのです。ある意味、それが「永遠の区分」をもたらす、と言っても過言ではありません。

 

 

 

まず、「サタン」の特徴を以下、ザッと話したいと思います。

 

 

 

○人間より賢い、しかし神よりは劣る→人を騙すのが得意、たしかに神に比べて劣るけれども、人を騙すことに関しては、赤ちゃんの手を捻るよりも楽勝かもしれない

 

○本当のことは決して言わない→神さまとは逆のことばかりを言う、いわば嘘つき

 

○クリスチャンを絶えずキリストから離そうとする→何かと理由をつけて、キリストに頼らせない方向へと引っ張っていく

 

○人を誘惑する者→クリスチャンに何とか「罪」を犯させようと常にチャンスを狙っている

 

○人を惑わす者→キリスト以外のものに目を向けさせ、別のものをつかませて、クリスチャンのもっとも大事な永遠の命を奪うことに躍起

 

○神さまへの従いの時期を見誤らせる、クリスチャンをいつまでも「罪」のうちにとどめさせる→「そうだねぇ、たしかに悔い改めたほうがいいよ。でも、今すぐでなくても大丈夫だよ。いつかでいいからね。」なんてささやいて、結局は悔い改めさせず、クリスチャンを「罪」の中にいつまでも縛っておく

 

○聖書をよく知っている、もしかすると、たとえの意味合い(聖書の裏の意味合い)のツーかもしれない→けれども決してみことばはおこなわない

 

○反逆者→神さまのことばには決して従うことはない

 

○悔い改めるのを嫌がる→悔い改めたほうが良いことは百も承知、しかし決して悔い改めることはない

 

○姿は現わさない→第三者を利用したり、個々の人の思いや感情に働きかけてきて、「天国への道」からうまく、そらさせる

 

 

 

まだ、他にもあるかもしれませんが、だいたいこんなところではないか?と思います。一番はじめに挙げたように、少なくとも人間より賢いので、著者が気付いていないことは万とあると思いますので、さらに知りたい!なんて思う方は、ぜひ個々に神さまに聞いてみてください。あるいは聖書から、サタンに関して新たな発見があるかもしれません。また、そもそもサタンは、「サタンの存在すらないよ!」とか「サタンに勝つのは楽勝さ!」なんてことをクリスチャンの心の中に入れてきたりもするかもしれません。でも、これは「嘘」であります。繰り返すように、人間よりは賢いので、私たちが素手でサタンに対抗しようとしたら、必ずと言ってよいほど「負け」ます。ゆえに裏返して言うと、サタンの力に抵抗しようとするなら、必ず「神さま」から助けを求めていく必要があります。

 

 

 

サタンの大きな仕事と言えば、一人でも多くのクリスチャンを「地獄」へと道連れにすることです。この世の神さまを知らない未信者の人もそうですが、サタンも天国には入りません。しかも、聖書に書かれているように、自分の時が短いことを知っているので、一人でも多くのクリスチャンをなんとか騙して、天国に入らせまいということに躍起になっているのです。もし、本当に「天国」に入りたいのなら、このことは真剣に考えなければいけません。それこそこの世に「聖霊」だけが存在するのならそんなことを考える必要はまったくありませんが、私たちを天国へと案内してくださる「聖霊」がいてくださるのと同時に、そのことを邪魔してくる「サタン」の存在もある程度は知っていないといけません。そうでないと話にならないのです。たとえばサッカーをする時に、ゴールキーパーの存在を知らずに、試合に挑むようなものです。ゴールキーパーがいる前提で練習をして試合にのぞむのと、そうでないのとでは、戦い方や結果がまったく変わってきますよね。「サタン」の存在に関しても、同じことが言えるのでは?と思います。

 

 

 

また、このこともいつか機会があったら話したいと思いますが、「サタン」の存在は、ある意味神さまの許しの下に配置されているのです。そして常に「クリスチャンの永遠の命」を狙っている存在がいるということを理解しないと、肝心なところで足をすくわれてしまうと思います。と、言うのは、「天国」に入りそうなクリスチャンに対して、ことさらにサタンは攻撃を挑んでくるからです。それは目には見えない方法なので、一見は分からないかもしれませんが、「あれ?どうして?神さまの御心をおこなっているのにこんなひどい目に会うの??」なんていう風に思うことがあったら、あるいはそういうことが頻繁に起きてくるようでしたら、それは「サタンの妨害」だという風にとらえて概ね間違いはないと思います。もちろん悪いことをして、要は神さまの怒りを買うことをしてそういう目に会っているのでしたら話は別ですが、特に罪を犯していないにもかかわらず、理不尽な目に会うなら、それはサタンに目をつけられていると思ってほぼ間違いはないでしょう。ゆえに神さまの御心をおこなっていない人、つまり神さまがお喜びになることに積極的でない人には、そういうことはほぼ、起きないでしょう。もちろん皆無とは言いませんが、神さまの御心をおこなっていないということは、それはサタンの意思をおこなっている可能性があるので・・・そう、もしかすると天国から外されている可能性があるので、そういう人はサタンのターゲットにあまりならないのです。反対にそういう人は、正しいクリスチャンを妨害するための道具として、サタンに用いられるでしょう。そうすると・・・悔い改めるなら別として、そのままだと恐らく天国には入れないでしょう。

 

 

 

さて、サタンから攻撃を受けたときに、どういう風に対応していくか?それがサタンとの「戦い」なのです。また、「サタンとの戦い」というのは、私たちクリスチャンの本音を探るためのテストとしても、神さまが用いるのです。

 

 

 

たとえばあなたに良くしてくださっている友人がいたとして、しかしある時、突然態度が豹変したとします。それだけでなく、あなたから離れて、他の人たちに根も葉もないことであなたの悪口を言ったり、意地悪をしたりしたとします。そんな時に、「あれ?私、何か悪いことをしたのかしら?」なんていう風に一瞬は考えると思います。でも、冷静になって考えてみると、特に思い当たらない、なんてことになったとします。その時にですね、あなたがそのことに対してどう対応するのか?を神さまはご覧になりたいのです。もちろん何も悪いことをしていないあなたに対して態度を豹変させた友人のほうが悪いことなんて、神さまは百も承知です。ではあっても、「そういう状況の中でもきちんと神さまの御心をおこなっていくか?」が試されるのです。その時に、「あの人がああいう風にするなら、いつか私も仕返ししてやろう!」なんていうことを多くの人は考えると思います。あるいは仕返しとまでは言わなくても、その友人の「不幸」を願うなんていう思いになるかもしれません。でも、それは「サタン」に敗北することになるのです。まさに、サタン(敵)の思うツボになってしまうのです。たしかにあなたの友人をそんな風に引っ張っていったのはサタンです。しかも、その友人は知ると知るまいとサタンに同意したのも事実です。ではあっても、そのことにまんまと乗せられてはいけないのです。そのまま、感情の赴くままに行動をしたり、悪い思いを心に持ち続けていくときに、「天国」が危なくなってしまうのです。

 

 

 

それでは、そんな時にはどうするのか?と言うと、聖書のことばを思い出すのです。聖書にはどういう風に書いてあるのか?を、です。「敵」に関しての記述があります。聖書には「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と書かれているので、お祈りの中でそのことを実践してみるのです。そうすると、どうなるのか?と言うと、はじめはなかなか相手への苦い思いが消えなかったり、ぎこちなかったりするかもしれませんが、そのことを繰り返していくうちに、徐々に内側にある思いが聖霊の力によって変えられていくようになるのです。相手の人ではなく、あなた自身が次第に変えられていくのです。そして神さまの時に、神さまによって完全に勝利を取っていただけるのです!!そうするとですね、「天国」へとグッと近づいていくのです。

 

 

 

信仰生活はある意味、こういうことの繰り返しなのです。このことは、ほんの一例ではありますが、今話したようなことはありとあらゆることに当てはまりますので、あとはそれを応用していけば良いのです。あっ、それからひと言追加しておきますが、たとえサタンに負けてしまったー、なんてことになっても、あまり気にしないほうがいいですよ。何を隠そう、著者も負けることなんてたびたびあるのですから。でもね、そんな時には「今回は負けてしまいましたが、次回はぜひ、勝ちたいです。神さま助けてくださいますようにお願いします」という風に祈っておくのです。そうするとですねぇ、主が再チャンスを与えてくださって、いつの時か神さまが勝利を取ってくださるのです。お祈りしておくと、こちら側の思いも少しずつ変えてくださって勝利へと導いていただけるのです。ハレルヤ!神さまに感謝です!なので、一度や二度、ダメだったからと、あるいは失敗したからと言って、決して気を落とさないでくださいね。サタン(敵)はたしかにどこまでも「執念深い」性質の存在ではありますが、こちらも負けず劣らず、勝利を得るまでしつこく神さまにお願いしていきたいと思います。とにかく大切なのは、サタン(敵)の攻撃に関して決して諦めたり、泣き寝入りしないことなんです。もちろんこちらに「罪」があるなら話は別ですが、特に何の「非」もないのに、そのように攻撃されているのでしたら、おとなしく黙っている必要なんてこれっぽっちもないのです。それだと負けっぱなしですし、ハッキリ言って損ですよ。ですので、神さまを信頼して、神さまが必ず勝利を取ってくださる!ということをただただ信じて、祈り求めていきましょう!!そうするなら、必ず勝てるのです!!

 

 

 

人間的には「順風漫歩」の信仰生活を送れるのを誰もが望むのではありますが・・・しかし、本当に「天国」を目指す、というときに、「サタン」との戦いは避けたくても避けられない、という一面に関しては、よくよくとらえておくと良いと思います。信仰生活を積み重ねていく中でこのことは少しずつ理解するようになると思いますが、こちらが特別望まなくても神さまの許しや配慮の下に、「サタン」のありとあらゆる攻撃は送られてきます。本当に「天国」を目指しているならば、です。そして正しく対応するのなら、さきほど話したように、神さまの時に必ず勝利を取っていただけるのです。それだけでなく、霊的に成長するチャンスともなるので、「ああ、攻撃を受けちゃったー」なんていう風にマイナス面だけを見ずに、プラスの面もしっかりと見ていきたいと思います。

 

 

 

本日は「サタンの存在」と題してメッセージをさせていただきましたが、概ねご理解いただけましたでしょうか?このようなメッセージを書いた目的は、「サタンは怖い存在だ」なんていう風にクリスチャンを脅すためではなく、私たちを天国に入るためにはどうしても不可欠な存在だということを知っていただきたく、このようなことを書きました。そして正しく対応するなら、神さまから助けや守りが与えられたり、はたまたベストな解決へとも導いていただけるので、決してネガティブに考えることなく、神さまを信頼して、神さまに助けを求めて、神さまに勝利を取っていただくようにしていきたいと思います。