No.22 自由意志を尊重される神

 

 

 

◇◇信仰に関して強制は一切無い、しかしどれもこれも結果が伴う◇◇

 

 

 

かつて「神さまは何も強制しないよ。すべてのことは自由なんだよ。」ということを、某献身者の方が著者に話したことばが、とても印象に残っています。なぜ、そのような話になったのか、記憶が今ひとつ定かではないのですが、なんとなく思い出したのは、その教会に「伝道者」を育成するための場所が開設されたというのが話のきっかけだったと思います。今でこそ、およばずながらイエスさまの弟子(献身者)としての歩みをさせていただいていますが、当時の著者は単なる「平信徒」の歩みでした。その時に、その献身者の方が著者に「どう?伝道者の養成所ができたけど、献身の歩みなんてどう?少し考えてみない?」と問いかけてきたと思うのですが、それに対して、「いえいえ、私なんて無理ですよ。そもそも教会に行くことすら家族にあまり良く思われていないのですから」なんて答えたと思います。その著者の言動に対して献身者の方が言われたことばが、「神さまは何も強制しない、すべては自由」ということだったように思います。

 

 

 

さて、今までもそうですし、これからもそうですが・・・著者が神さまから教えていただいたことについて色々とメッセージを書かせていただいていますが、しかし、これもまた、一切強制することなんて何もなくて・・・要は、すべて「おすすめ」なんです。それこそ実行に移すか、あるいはそうでないか、なんてことは、すべて「自由」なんです。「もし、気に入ってくれて、よろしければ・・・実行しましょう!」なんて、そんなレベルなんです。ではあっても、実行し続けていく人に恵みや祝福があるのは事実ですし、後の世である「天国」も約束されていることはたしかですし、はたまた実践していく人の上には、ありとあらゆることが実現していきます。そして聖書には「わたしに向かって、主よ、主よと言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです」ということが書かれていますので、実践することに大いにポイントがあることがお分かりになるでしょう。

 

 

 

それで、「自由意志」ということに関連して、「注意書き」として少し話したいと思います。たしかに、すべてのことは自由であって、そう、神さまは私たちの自由意志をどこまでも尊重されるお方ではあるのですが、しかし、サブタイトルにも記載しているように、いずれも結果を刈り取ることになるのです。それに関して、聖書はこのように言っています。

 

 

 

〔聖書箇所〕ガラテヤ人への手紙6:8

 

6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

 

 

せっかくなので、この箇所を少し見てみましょう。

 

 

 

ここで「刈り取り」について書かれています。この世においても、色々と「刈り取り」はありますよね。そう、農作物や植物が良い例だと思いますが、畑にほうれん草の種を蒔けば、ほうれん草が育ちますし、ひまわりの種を蒔けば、夏にはきれいなひまわりが咲きますよね。聖書で言われている「刈り取り」も、それに準じます。

 

 

 

上記みことばで「肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取る」とあります。ちなみに「肉」とは、聖書では「罪」という意味合いがあります。そう、「罪」ばかり犯していくときに・・・たとえこの世では特に問われなくても、後の世において「滅び」(永遠の忌み、すなわち地獄、火の池)に入ってしまうのです。そして「御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取る」とあります。「御霊のために蒔く」とは、神さまの御心をおこなっていくことです。「罪」とは逆のことです。神さまの御心をおこない続けていく人、すなわち神さまの言われることに従い続ける人は、「永遠の命」を得る、ということを言われているのです。

 

 

 

そう、私たちは生きている間、「肉」(罪)のために蒔くのか?それとも「御霊」(永遠の命)のために蒔くのか?が問われているのです。そしてそれは、個々の人たちの判断にどこまでも任されているのです。言ってしまえば、「肉」に蒔くのも自由だし、「御霊」に蒔くのも自由です。はたまた、神さま(イエスさま)を信じて信仰を持つのもそうでないのも自由、聖書を読むのも読まないのも自由、お祈りするのもしないのも自由、奉仕をするのもしないのも自由、人を赦すのも赦さないのも自由、十字架を背負うのも背負わないのも自由、なんです。しかしそれらについて、すべて事柄に関しての結果は必ずついてくるぞ!ということです。なので「自己責任」ということになりますので、そのあたりのことは念頭に置いて信仰の歩みをしていきたいと思います。

 

 

 

神さまが個々の人の自由意志を尊重されるがゆえに著者としては・・・何にしてもある程度のおすすめはしますが、「これをやりなさい!」なんていう風に命令も強制もしません。著者自身も、神さまから強制されているものなんてひとつもありませんので、まして人様にそんなことは言えませんので。だからこそ、すべてにおいて結果を刈り取ることに恐れを持って神さまの前におごそかに歩んでいかなければ!なんて思っています。そして、一応と言ってはなんですが、おすすめをする立場にいますので、著者としては、「御霊」に蒔くこと、つまり神さまの御心をおこなうことを選択するような歩みに徹していかれることを、ぜひおすすめします。地上で蒔いたものをすべて刈り取りますので、神さまに喜ばれることに絶えず目を向けていきたいと思います。