No.24 教会選びのポイント(2)

 

 

 

◇◇プロテスタントなら、どこでもいいの?◇◇

 

 

 

前回は、カトリック教会へ行くのはNGだということに関して話をしました。なので、もし教会に行くのなら、プロテスタントの中から教会を選ぶわけですが・・・そもそも、もう、選択の余地がないので、必然的にそんな流れになるのですけれど・・・ただし、それに関しても、皆さまにぜひ、注意点をいくつか述べたいと思います。

 

 

 

人間的には、カトリック教会以外、つまりプロテスタントの教会なら、どこでもOKですよ!と、言いたいところなのですが・・・だとするなら、これでメッセージは終わるわけですが、聖書を読むと、決してそうとは語っていないので、話をしたいと思います。

 

 

 

以前の著者は、どこのプロテスタントの教会もそれほど大差が無いと思っていました。たしかに大半のプロテスタントの教会には教派とか宗派とかの名前が付いているので、それぞれの特色はあるのですが・・・もちろん著者がかつて行っていた教会も付いていましたけど、著者自身は幸か不幸か、そのことを意識したことはほとんどなくて、単純に神さま(イエスさま)が臨在するならどこでも良いと、そんな風に思っていました。ただ、しかしですね、それはそうとして、教会だからといって、礼拝やメッセージがあるからといって、すべてOKか?と言うと、そうではないのですね。多くのプロテスタントの信者さんは、「教派」「宗派」に関してわりとこだわるようですが、著者から言わせると、それらに関してはさほど信仰に影響はしないと思います。全くしないか?と聞かれれば、元々、宗派や教派に関して興味の無い著者なので、あまり分かっていない部分も多いので、絶対とは言いませんが、その名前によって信仰が強められるとか、そうではなくなるとか、ということはほとんどないと思います。では、どんなことが私たちクリスチャンに大きな影響を及ぼすのか?について話したいと思います。それは二面あって、「教理」と「霊的」な事柄です。内容は若干異なりますが、ある意味このことは、カトリック教会と共通します。そう、プロテスタントに関しても、それらが教会選びのキーになりますので、それぞれ聖書のことばに沿ってみていきましょう。

 

 

 

「教理」について

 

 

 

〔聖書箇所〕ヨハネの福音書6:27

 

6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」

 

 

 

この箇所はどんな場面か?と言うと、イエスさまからパン(メッセージ)を受けようとした群衆がイエスさまを追ってようやく見つけたときに、イエスさまが彼らに言われたことばです。ここで「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と言われています。繰り返し話しているように、聖書には多くのたとえが使われています。ここで「食物」とあります。たしかに私たちが生きていく上で、食べるものは必要です。また、食べ物に関して、特に聖書では「パン」ということばがよく出てきます。たとえばお腹が減っていたときに「パン」を食べると元気が出ますよね。力が出ますよね。これは肉体のことに関してですが、霊的なことも同じで・・・そう、聖書の意味合いとして、「パン」は「みことば」とか「メッセージ」とか「教理」のことを言われています。クリスチャンを霊的に養うためのもの、それが「パン」なのです。

 

 

 

また、「なくなる食物」ということばが出てきます。KJV訳や原語の意味合いは「滅ぼす食物」「殺す食物」とあります。ですからここで言われているのは、こういうことです。「パン、つまりメッセージを受けたからといって、必ずしもそれは霊的に養うとはかぎらないよ。反対に害になるものもあるんだよ」「教会に行ってメッセージを聞いたからといって、あるいは、書籍やインターネットを通して教理を学んだから、メッセージを受けたからといって、必ずしもすべてのものが永遠の命に至るものとはかぎらないんだよ。逆に滅びや死に至らせるメッセージ、つまり永遠の命を失敗するメッセージもあるんだよ!どこの教会でもいいわけではないんだよ。書籍やインターネットの文章やメッセージも同じことが言えるんだよ。だから十分気を付けて、永遠の命に至るメッセージを受けていきなさい、あるいは永遠の命に至るメッセージを伝える働きをしなさい」ということを言っているのです。

 

 

 

上記の箇所を通して・・・「信じられない!」と思うかもしれませんが、教会に行きながら、あるいはクリスチャン向けのインターネットのサイトの文章や書籍を通して、「滅び」に至るメッセージを聞いてしまう、なんてことが実際にあるのです。旧約の終わりのイエスさまの時代もそうでした。メッセージをつかさどるパリサイ人、律法学者に対して主は、「ゲヘナの子」と言いました。彼らのメッセージを聞き続ける会衆がゲヘナへ入ることが想像できるのです。まさしく、滅びるパンです。残念ながら新約の終わりの今の時代も、同じことが起こるでしょう。いや、すでにもう、それは起きつつあるのです。では、どんな教理がそうなのか?と言うと、それはもう、「山」とあるので挙げ出したらキリがないのですが、いくつか例を挙げてみます。

 

 

 

まず、「未信者はさばかれる、しかしクリスチャンはさばかれない」という教えです。たしかにこれは、クリスチャンにとって好都合な教理です。「一度クリスチャンになったら、皆天国」という教えもそうです。しかし聖書には明々白々と、クリスチャンのさばきに関して、至るところにハッキリと書いてあります。一例を挙げるなら、「賢いおとめ」と「愚かなおとめ」の話がそうです。詳細に関しては、別の機会に話したいと思いますが、この話の結論は、「賢いおとめはキリストの花嫁として受け入れられる、しかし愚かなおとめは受け入れられない、つまり天の御国に入らない」ということです。ちなみに「賢いおとめ」「愚かなおとめ」ですが、両者共にクリスチャンです。

 

 

 

また、キリストの再臨に関して、以前の著者もそうでしたが、多くの教会やクリスチャンは「キリストの再臨はすべてのクリスチャンにとって、この上ないハッピーな時」だと思っているようですが、聖書では、未信者はもちろんのこと、多くのクリスチャンにとって嘆きや災いの時になると言われています。それから、「クリスチャンは艱難を通らない。その前に天に挙げられる」(キリスト教会ではこのことを『艱難前携挙(けいきょ)説』と言っています)というのも、嘘の教えです。クリスチャンが艱難を通ることについても聖書にハッキリ明記されているのですが、そんなデタラメの教えによって、多くのクリスチャンは艱難時代の備えを覆されています。ゆえにさっきの話ではありませんが、そういうクリスチャンは再臨のキリストに正しく対応できないでしょう。そう、どれもこれも、聖書で言っていることと180度違うことばかりです。これらはほんの一部のものではありますが、もし、そのようなことをメッセージしている教会なら、それは要注意です。いいえ、教会のメッセージにかぎらず、書物や記事も、しかりです。

 

 

 

そう、要するに、聖書で語っていることばと違う食物、すなわちメッセージ、教理を受けていくときに、ハッキリ言いますが、「永遠の命」をゲットできなくなるのです。だからイエスさまは「なくなる食物のためではなく~」と言われたのです。滅びや死に至る食物、つまりメッセージや教理があるから、だからそれらは断ち切って、永遠の命に至る食物、すなわちメッセージや教理を受けよ!あるいは、伝えよ!と、いうことなのです。

 

 

 

そして結論から言ってしまうと、残念ながら今、多くのプロテスタントの教会が、滅びや死に至るメッセージを語りつつあります。祈りつつ、いくつかの教会に足を運んでみたら分かると思いますが、そのメッセージの大きな特徴と言えば、「私たちへの神の愛」こそは強調されるのですが、「私たちの神への愛」(神に愛されるだけでなく、私たちのほうも神を愛する)に関してはほとんど言われることはありません。また、「祝福」や「恵み」は語られても、その反対のこと、つまり「呪い」や「災い」や「神の厳格なさばき」や「罪に対する叱責」や「愛する者への神のムチ打ち、懲らしめ、訓練」ということに関しても、ほぼ耳にすることはないでしょう。

 

 

 

以前著者が通ったいくつかの教会も、ほぼ、このような感じでした。もちろん「さばき」とかに関して、全く語らなかったわけではないにしても、それはほぼ未信者限定という感じでしたし、祝福と呪いとの比率は、いいところ9:1くらい割合だったのでは?と思います。あっ、ここで勘違いしてほしくないのですが、別にメッセンジャーを非難しているわけではありません。もちろん悪いことばかりではなく、色々とためになることも教えていただきましたので、助けになったメッセージも沢山ありました。ただ、現状はこうですよーということを知っていただきたいと思いまして・・・要は、良いことも語っているのですが、しかし、肝心要の「永遠の命」に関する部分に関してはほとんど真逆のことが語られていますので・・・そのようなことであわや「滅び」に至るメッセージを受けてしまって永遠の命をミスすることのないように、私がこんな風に語っていることをどうぞご理解ください。

 

 

 

もし、すでに教会に行かれているのでしたら・・・それがたとえプロテスタントの教会であっても、こういったことに関して、ひとつでも該当するようでしたら、要吟味では?と思います。と、言うのは、そのまま嘘、偽りを盲信していくなら、教会&信徒共々さばかれてしまいますし、滅んでしまいますので・・・いくら毎週ごとに礼拝に行っている、奉仕をしている、としてもです。また、本日挙げた事柄は、氷山の一角に過ぎないことなので、これから機会を見つけて、ぜひ、その他のおかしな教理に関しても順次話をさせていただき、共に学んでいけたらと思います。なので、その都度、参考にしていただければ、と思います。

 

 

 

そして、おかしな教理にだまされない方法、あるいは見抜く方法を著者なりに示されたことがありますので、よろしければ参考にしてみてください。それは度々申し上げているように、聖書を丹念に読むことです。一日、最低でも10章は読みましょう!と、言うのは、「通読回数」が非常に大事だからです。それによって、聖書がどう語っているか?ということがだんだんと分かってくるようになります。神さまが全体を通して語っている事柄や方向性をとらえられるようになるので、何が大事なことなのか?落としてはいけないポイントなのか?について、自然に理解できるようになります。通読を繰り返すことがキーになりますので、本当に永遠の命を得たい!永遠の命の食物(教理、メッセージ)にありつけたい!と思っているのでしたら、すぐさま実践しましょう!その中で、どの教会に行くべきなのか?ということについても正しい判断ができるでしょう。

 

 

 

「教理」に関して少し長くなりましたが、次に「霊」に関して見たいと思います。

 

 

 

〔聖書箇所〕申命記12:23

 

12:23 ただ、血は絶対に食べてはならない。血はいのちだからである。肉とともにいのちを食べてはならない。

 

 

 

ここでは「血」に関して言われています。「血」に関してもたとえの意味合いが使われています。「血」は他でもない、「霊的な事柄」を指します。そして「血はいのちだからである。」

 

というように、聖霊の働きこそ、我々のいのちそのものだ、と言うことをこの箇所では語っているのです。

 

 

 

「教会」と聞くと、まして「プロテスタントの教会」なら、「聖霊」に満ちたところだ、と思うクリスチャンが多いと思います。かつての著者もそう信じていましたし、そしてできれば、すべての教会がそうであって欲しい!と心から願っています。しかし、現実に教会でどんなことが起きているのか?と言うと、「悪霊」が下されている教会があるのです。どんな風に?と思われるでしょう。

 

 

 

著者が通っている教会では、「トロントブレッシング」というDVDを販売しているのですが・・・これはパソコンでも見ることができますが、トロントでリバイバル集会が行われた時のことですが、キリスト教会の集会と称しているものの、その実態はなんと、「悪霊の集会」なのです!著者もそのDVDを観てビックリしたのですが、集会のド真ん中には、悪魔礼拝者がいて、「デーモン、デーモン」と小声でサタンを呼び出しているのです。その結果どんなことが起きているのか?と言うと、そこに集まっていた人々がすっかり「悪霊」のとりこにされて、突然倒されたり、笑いのとりこになったり、獣のようになったりしているのです。そして信じられないことですが、多くのクリスチャンがその現象を「聖霊」の働きと勘違いしているのです。さらに、「デーモン」などと悪魔を呼び寄せている器(神の働き人と言われる人)が、あちこちの教会に招かれて、そこで人々に「悪霊」を下しているのです。ちなみに日本の教会にも来ているそうです。特に「ペンテコステ派」と呼ばれる教会は「悪霊」を下す働き人を、「神の器」だと言って積極的に招いているみたいです。

 

 

 

もし、そういったことを教会で目の当たりにすることがあったら、要注意です!その教会からは直ちに離れることをおすすめします。そうでないと・・・「悪い霊」の影響を受けてしまいますので。それこそ、「聖霊」と「悪霊」の立場が逆転している教会ですので、それはもう、「キリスト」の教会とは、呼べませんので・・・そして「悪い霊」の影響を受けていくときにどうなってしまうのか?と言うと、霊的に正しいことを見たり、判断ができなくなりますので、くれぐれも注意が必要です。

 

 

 

今話したことにかぎらず、万一、「悪い霊」の影響を受けてしまったかもしれない、と思われましたら、すぐに神さま(イエスさま)に祈り求めて、「聖霊」によって、悪しき霊から解放されていきましょう。真に助けを求めていくなら、たとえ一時的に「悪い霊」にやられていても、再び「聖霊」に導いていただけますので、決して諦めることなく、信じて求めていきましょう!

 

 

 

以上、プロテスタント教会を選ぶポイントについて話をさせていただきましたが、お分かりになりましたでしょうか?繰り返すようですが、今回挙げたことはほんの一部のことなので、各自のクリスチャンがぜひ、聖書をきちんと読んで、祈りの中でひとつひとつのことをきちんと吟味して、正しく判断されることを願っています。

 

 

 

たとえば少量であっても、「毒」の入った食べ物や飲み物を毎日受け続けていったらどうなるでしょう?いつの時か、体調を悪くして、最悪死んでしまいよすよね?霊的な食物や飲み物も、それと一緒で、おかしなものばかりを受け続けていくときに、霊が徐々にむしばまれ、荒廃していき、最後は滅んでしまうのです。なので、永遠の命の根幹に関わる教理や霊に関しては、よくよく注意を払いましょう!ということです。よろしければ、ぜひ、こういうことに関しても見ておいてください。