「神様は、自ら進んで捧げる者を喜ばれる」

 

 

 

 

 

神様は、目には見えません。しかし、聖書を通し、神様がどの様なお方か、知ることが出来ます。

 

次に、ダビデ王は全集団に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれたただひとりの者であるが、まだ若く、力もなく、この仕事は大きい。この城は、人のためでなく、神である主のためだからである。

Ⅰ歴代誌29:1

 

神様が、ソロモンを選んで神殿を建てさせる、このことを通して、神様が主導権を持っているのが分かります。

神殿は主が働かれる場所であり、主が住まわれる所です。

それゆえに目に見えるところでは、ソロモンに仕えますが、主に仕えるという気持ちで成していく事がとても大切です。

 

29:3 そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。

Ⅰ歴代誌29:1

 

この様に、自ら進んで捧げる捧げ物に、価値があるのです。

 

29:16 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。

29:17 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。

Ⅰ歴代誌29:16,17

 

心を試されるとは、動機を試されるという意味で、誠実とか潔白と訳されています。

主の御用の為に、使って下さいという純粋な気持ちが大切です。

その様な神様を第一とした仕え方を喜んで下さることを強く語られました。そのような信仰のあり方でないと、主が共に住まわれるといった言葉を受け取ることが出来ず、神様と自分との契約において、確信を失ってしまうと思います。

状況が良くても悪くても、ただ仕えていけるように求めていく事、私たちが主と共にある時、主が一方的に憐れんで下さいます。

又、聖霊によってしか、自分をわきまえることが出来ません。

神様に支配して頂いて、はじめて、私たちの歩みが正しく導かれることが出来るのです。

神様は、私たちに自由意志を与えられました。強制はしませんが、私たちの心を見通される方です。

この世においては自己実現の為に、多く生きがいを見出します。

しかし、聖書はしもべの様な生き方を望まれています。

しもべの様な生き方は、一見、損の様で、実は最も賢い生き方だということが分かりました。

 

アブラハムがイサクを捧げる事は、常識では、真実でないように見えます。しかし、神は、最も愛する息子イサクを捧げる様言われました。アブラハムが、本当に神に仕え、従う心があるか、試みに会わされたのです。

 

主に従いにくい事でも、従うことが出来るよう、祈っていきたいと思います。