『クリスチャンになったきっかけ』

 

 

 

 

 

私が生まれて初めて教会に行ったのは高校生の時でした。きっかけは友人が習い事をしていて、その先生がクリスチャンだということで、クリスマス会に誘われたから一緒に行ってみない?ということでした。友人もそうですが、当時の私も未信者でした。もうだいぶ前のことなのでところどころしか覚えていないのですが、はじめに皆で賛美歌をいくつか歌って、そのあと教会の信者の人たちが一人ずつ前に出て話をしていました。キリスト教用語ではそのことを「証」と言います。「証」とは、神様がしてくださったことや教えてくださったことについて語ることです。

 

何人かの人が代わる代わる証をしていて、その中の一人の人がこんなことを話していました。「私は最近まで職場の人のことでとても悩んでいました。なぜかと言うとある人が私に対してことごとく意地の悪いことを言ったりしたりするからです。それで神様に“なんとか良い解決へと導いてください”とお祈りしました。そうしたらしばらくして、その人は会社を辞めることになりました。色々と大変だったけれど、神様が助けてくれました」ということを話していました。話を聞いて、「へぇーっ、神様ってすごい。お祈りしたら答えてくださるだぁ」と感動しました。

 

それ以来、しばらく教会のことは忘れていたのですが、約一年後、私は病気のために手術をすることになりました。同室の人たちに「とにかくオペが終わったあとが大変だから」という話を聞き、少し不安に思いました。手術の日の前日の夕方、私は一人で病棟の屋上に行きました。明日はいよいよ手術だけど大丈夫かなぁ?という思いを抱きながら、どうしたらいいだろう?と考えていました。ふと、その時にクリスマス会で聞いた話をなんとなく思い出しました。そしてとっさに「私はクリスチャンではありませんが、神様が、もし本当にいらっしゃるのでしたら、どうか私のお祈りを聞いてください。明日の手術がとても大変だと聞いています。特に終わったあとが辛いそうです。よろしかったら、ぜひお守りください」という風にお祈りしました。そして手術の当日を迎えました。局部麻酔だったので、しかも時間が若干長かったので手術中はかなり辛かったのですが、ただ不思議にも手術後の経過は比較的順調でした。まったく辛くなかったか?と聞かれれば、多少の苦痛はありましたが、思っていたよりも楽でした。そして何よりも、「神様が、こんな私のお祈りにも答えてくださった。守ってくださった。きっと神様はいるんだろうなぁ」と思い、とても嬉しくなりました。その時は全く知らなかったのですが、随分あとになって、聖書にこのような御言葉が書かれているのを知ってびっくりしました。

 

“また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから。この宮に来て祈るとき、あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。”

(旧約聖書〔新改訳〕:Ⅰ列王記8章41-43節)

 

聖書の記述には多くのたとえが使われているのですが、“外国人”とは、神様を知らない異邦人、つまり未信者のことを指します。このことはダビデ王の子どものソロモン王という人が神様に捧げているお祈りの一部です。意味合いとしてはこういうことです。“イスラエル”とは、今で言うクリスチャンを指します。つまりクリスチャンでない未信者の人が神様に向けてお祈りをするときに、そのことを神様がお聞き届けてくださって願うことを叶えてくださいというお祈りをソロモン王は神様に捧げたのです。また、“ソロモン”という名前にもたとえの意味合いがあって、“ソロモン”は、「聖霊(神様の霊)」に、たとえられています。ゆえにそのお祈りは神様の前に受理されたことが理解できます。このことから、たとえ過去の私のように未信者の人であっても、心から神様に願い、祈り求めていくときに、神様がお聞き届けてくださり、祈りに答えてくださるのだということが分かりますよね。今でももちろんそうなのですが、色々と振り返ってみても、本当に神様は誠実で素晴らしいお方なんだなぁと思わされます。

 

話はそれましたが、それから半年後、私はあることをきっかけに自宅の近くの教会に行くことになりました。イエス様のことは多少なりとも知っていましたが、教会と神様がイエス様と密接な関わりがあるということについては知りませんでした。でも、毎週礼拝に行くようになって、父なる神様=御子イエス・キリスト=聖霊=聖書ということを理屈抜きで理解するようになって、イエス・キリストが自分の救い主であり主であることを信じて受け入れて、さらにその一年後には洗礼を受けてクリスチャンになりました。かつては仏教徒を信じ、毎年のように初詣にも通っていたのですが、そういったこととも縁を切りました。クリスチャンになるまでの間に神様は様々な方法を通して、御自身がおられることを私にアプローチされていたんだなぁということを強く感じました。それから今日に至るまで数々のことを主イエス・キリストにあって体験させていただいていますが、クリスチャンになって本当に良かったなぁと思っています。これからも、神様が与えてくださった「救い」の贈り物に感謝してイエス様と共に歩んでいきたいと思います。最後に聖書の言葉を引用させていただき、証を終わらせていただきます。

 

“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。”

(新約聖書〔新改訳〕:ローマ人への手紙10章9節)