『神を避け所とするなら』

 

 

私がまだクリスチャンになる前のことです。その当時、私は求道中で教会に行くようになりました。そこは牧師さんのご家族、宣教師、数名の信者さんのいらっしゃる小さな教会でした。私がその教会に行くようになったきっかけは、家族に配布されたチラシでした。「土曜日の夜に、外国から来た人たちがパントマイムをしたり、話をしたりするみたいよ。楽しそうだから行ってみない?」という家族からの誘いで行くことになりました。実はその時、私はまさかその場所が「教会」だとは思わなかったので、足を運んで正直びっくりしました。しかもその当時はイエスさまと教会が関係あることについてあまりピンと来ていなかったので単に、「宗教はいやだなぁ」と、そんな思いで教会に足を踏み入れました。でも、行って見ると、悪い感じはしませんでした。同世代くらいの人も数人いて、その中にはクリスチャンの人もいて、しかもとても温かく迎えてくれました。なので少しホッとしました。そしてそこには宣教活動の一環で10人位の外国のクリスチャンがいました。イエスさまの十字架の救いのパントマイムがあり、その後彼らとお茶を飲みながらお話したりする時間を持つことができました。毎週その集まりに参加していたのですが、ある時、何人かの人からクリスチャンになってからこんな風に変わった、という話を聞かせてもらいました。

 

 

 

ある男性は、「自分はクリスチャンになる前は警察にお世話になったこともある。車を盗んだり、未成年なのに酒に溺れていた。でも、イエス・キリストと出会ってから、人生が一変した。自分の罪に気付いて、神さまの前に泣いて悔い改めて、クリスチャンになって・・・そして今までやっていた悪いことを全部止めることができた。自分のことをよく知っている友人は、そのことを悪く言ったり、なじったりしたけれど、そういう友人とも縁を切ることができた。イエス・キリストに信頼して、そして助けてもらった」ということを話していました。

 

 

 

次にある女性の話ですが、私はその人から直接聞いたわけではありませんが、私の家族が彼女から話を聞いたところ、その人はクリスチャンになる前に「覚せい剤」のとりこになっていたそうです。でも、イエス・キリストを救い主として信じて受け入れてクリスチャンになってから、「覚せい剤」からみごとに解放されたそうです。

 

 

 

両者共に、すばらしい証だと思います。人間的な感覚から言えば、アルコールや覚せい剤の依存症から解放されるのはほぼ「不可能」に思われるのですが、しかし聖書には「神にはどんなことでもできる」ということが書かれています。また、「彼(イエス・キリスト)に信頼するなら、失望させられることはない」ともあります。その当時は聖書のことばを知らなかったので深く考えなかったのですが、今にして思えばお二人はきっと、これらのみことばを信じて、神さまを避け所として、イエスさまにひたすら助けを求めたのではないか?と思います。その結果、「罪」の力からみごとに解放されたのではないかと思います。

 

 

 

それから一年後に私も洗礼を受けてクリスチャンとして歩みをスタートさせて、色々と紆余曲折がありながらも今日に至っていますが・・・私自身もあの罪、この罪と、特に神さまから示しを受けた時には、当然「罪」からの解放を求めるのですが、お二人の体験は今の私の信仰の歩みに良い意味合いで大いに影響を与えるものとなりました。人間的には「絶対に無理!」とか「難しい」とか「かなり厳しいのでは?」と思うことを神さまは成し遂げてくださったのですから、それは彼らだけでなく、神さまを信じる全ての人に適用されるのでは?ということを信じて、私も神さまに助けを求めています。「罪」にかぎらず、なかなか難しいかなぁと思うことも時には起きてきたりもしますが、「神に不可能は無い!」ということを信じて助けを求めていくときに、ありとあらゆることへの解決に導いていただいています。そしてこのことは現在進行形でもありますし、未来にも成就していくと信じています。

 

 

 

もし、何か問題やトラブルや、あるいは罪があったり、こと、人間的には無理かも!なんていう風に思うことがあっても、決して失望しないでください。私も色々なことがありましたが、イエスさまに拠り頼んで解決されなかったことはひとつもありませんので、ぜひ神さま(イエスさま)を信じて、助けを求めてみてください。たしかにこの世においても様々な解決策はありますし、それらを否定するわけではありませんが、しかし一にも二にも、イエスさまの力を求めていくときに、もっとも良い方向へと導いていただけますので、ぜひおすすめします。最後にひとつみことばをお読みして証を終わりにしたいと思います。

 

 

 

62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

 

 (旧約聖書〔新改訳〕:詩篇62篇8節)