『通夜で』

 

 

 



今から数年前、親戚の人が亡くなり、通夜に出席することになりました。未信者だったので、仏式のごくごく普通の葬儀なので正直、出席したくはありませんでした。訃報の知らせを受けてから通夜の当日を迎えるまで、仏壇に手を合わせたり、焼香をしたりすることがないよう、神様に守られるようにずっと祈っていました。それでも、その日が刻一刻と近付くにつれて、「本当に大丈夫かなぁ?」と心の内側には若干の不安が出てきました。そんな中、神様は私にみことばをくださいました。せっかくですのでその時にいただいたみことばを紹介します。



 



わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(新約聖書〔新改訳〕:ヨシュア記1章9節)



 



「あなたとともにある」のことばで、「ああ、主が共にいてくださるのだから何も心配する必要はないんだ。すべて神様にお任せすればいいんだ」と、内側にだんだんと平安が戻ってきました。すると当日、現場に向かう道中の中でさらに別のみことばも与えられました。



 



主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」(新約聖書〔新改訳〕:士師記6章12節)



 



自分が勇士だとは思いませんが、ここでも主が一緒にいてくださることが分かり、「大丈夫!」と確信を持つことができました。



 



そして、いよいよ通夜の式が始まりました。亡くなった方は生前、とても人望があったようで、かなりの人が代わる代わる焼香を捧げに来ていました。1,000人位はいたのでは?と思います。列席者も多く、順番に焼香が回ってきました。私は前から5列目のあたりに座っていました。私がクリスチャンだと知っている人は始まる前に「焼香はしなくていいからね」とおっしゃってくださいました。が、しかし、いざ、亡くなられたご家族を目の前にしたり、あるいは焼香の順番が近くなるにつれて、ある種の緊迫感が襲ってきました。ところが、自分の順番があと、3人目くらいになったところで、「本日は沢山の方がおられますので、列席者のお焼香はここまでにします」というアナウンスが入り、私のところまでは回ってきませんでした。「焼香はしなくていいからね」と言っていた人が、すかさず「良かったね」と言ってくれました。私も口に出さないまでも、「ああ、助かった」と、胸をなでおろしました。



 



仮に順番が回ってきて、焼香をする気はまったくなかったにしろ、しかし、気弱な私を神様はよくよくご存知で、私に合った方法で、しかもベストな方法で助けを与えてくださいました。この間、礼拝の時に詩篇の学びを通して、「神様は絶体絶命の時に助けてくださる」ということを教えていただきましたが、私のこんなつたない体験を通してもそのことが証明されていると思います。もちろん、はじめから未信者の通夜や葬儀には参列しないに越したことはないのですが、やむを得ず、そういう状況になってしまった場合に、一にも二にも、神様に助けを求めていくことが大事なのでは?と思いました。



 



これはある意味、私たちが問題や困難にぶつかった時、神様に助けを求めたり、より頼んでいくという型なのでは?と思います。こういったことに限らず、クリスチャンと言ってもこの世で生活をしているので、この世的なしがらみは色々とありますし、これからもあると思いますし、そんな風にどうしても避けられない事柄があると思います。でも、そんな中で決してあきらめてしまうことなく、その都度神様に頼っていくことにポイントがあるのだと思います。どんなことであっても、神様にできないことはありませんし、その時々にあって私たちが神様に頼るのか?それとも自分の力で解決するのか?をご覧になっていて、どちらかを選ぶか?によって、結果はまったく変わると思います。神様に頼る人にはどこまでも助けや導きや知恵や力を与えてくださいますので、そのことを信じて祈り求めていきたいと思います。反対に神様に頼らずに自分の力でなんでもかんでも解決しようとするときに、敵によってまったく関係無い方向へ引っ張られたり、はたまた、より複雑なものになってしまったりして、いつになっても解決に至らないなんてことになってしまうと思います。もし、何か問題があったり、行き詰っていることとかがありましたら、ぜひ、このことを実践してみてください。主を尋ね求める人に対して神様は憐れんでくださって、ベストな方向へと解決に導いてくださいますので、ぜひ、おすすめいたします。本日の、しもべのつたない証が読者の皆様の何かの助けになったり、お役に立てればと、思います。